パンデミックから紡ぐ思考 藤原辰史

定価本体2400円+税

発売日2019年6月25日

ISBN9784791771721

新型コロナウイルスが猛威を奮う現在、私たちはこのパンデミックからいかに思考を紡いでいけるのでしょうか。
小社刊『分解の哲学――腐敗と発酵をめぐる思考』をひとつの足掛かりにして、藤原辰史さんにインタビューを行いました(収録日:4月14日)。

* * *

―― 藤原さんは『分解の哲学』において、「こぼれおちているもの」を拾い上げて歴史を記述することで、翻ってこの社会の現在地を問いなおしていらっしゃいます。まずはこうした観点と、パンデミックを生きるうえで言葉を紡いでいく方法との関連性について教えてください。

藤原 私自身はこれまで農や食にかんする歴史について主に研究をしてきましたが、歴史学という学問には感染症についての歴史を記述した名著が数多くあるんです。私がとても影響を受けた研究者のひとりに、アメリカの歴史学者であるアルフレッド・W・クロスビー(1931-2018)という人がいますが、彼は『ヨーロッパの帝国主義』や『史上最悪のインフルエンザ』の中で、感染症や疫病をめぐる問題に特に触れています。クロスビーの著作からは、病原体という一見見えづらい存在が、世界史を描くうえでいかに欠かせない存在かということが見えてきます。

私自身も「見えづらいもの」の視点から歴史を描いてみるということを心がけています。『分解の哲学』では、土壌のなかで微生物たちが粛々と進めている動植物の死骸の分解の世界が、いかに私たちの生活に密着したものであるか探りたいと考えました。人間以外の見えづらい存在を追うことで、翻って「人間的なるもの」がわかってくる。この反転が私のテーマのひとつです。これはウイルスという見えづらい媒体によって拡大するパンデミックを生きるうえで言葉を紡いでいくにも、欠かせない視点だと思っています。

 

―― 藤原さんは「食べる」という平凡かつ危険な行為について、これまでさまざまな観点から検討を加えてこられました。COVID-19のパンデミックが提起した問題と〈食〉という行為の関係について教えてください。

藤原 そもそも食べものを食べると言う行為は、日常的に行われている壮大な賭けでもあります。食べるという行為は時にとても危険な行為です。そして今回、とくに給食や子ども食堂などの「みんなで食べる」という行為が感染のリスクが高いゆえに機能が低下することが、貧困家庭やひとり親の家庭をここまで苦しめる冷酷な事実に、慄いています。

「食べもの」は私たちの口に入ってくるまでに、さまざまなひとびとの危険と隣り合わせでつくられ、運ばれていることも忘れてはなりません。農家ジャーナリストであり、ご自身も有機農法の実践家である松平尚也さんが重要な指摘をなさっています。ドイツでは歴史的に農業労働が海外からの季節労働者によって賄われています。今回、新型コロナウイルス対策として、ドイツでは国境封鎖が行われていますが、そうすると食料の安定供給が危うくなるということで封鎖が解除され、主に東欧の国々から季節労働者を受け入れる態勢をとることになりました。すると、労働集約的な農業労働の現場では、社会的距離を保持することが難しく、労働者の感染リスクがとても高まってしまいます。こうした問題は、日本においても同じように考えることができる問題です。

その一方で、「食べる」という行為は類まれなるケアのかたちでもあり続けています。『給食の歴史』でも触れましたが、例えば給食というシステムは比較的安価に子どもたちの胃袋を支えてきた大きな取り組みです。今回給食が休止になってしまったことで、「食べること」をめぐる社会的な不平等が改めて可視化されました。ですから、「食べもの」や「食べること」をめぐるリスクが確かにある一方で、それが私たちの暮らしを支える礎ともなっているという両側面については、今回見えてきた〈食〉現象の拡がりとして引き続き考えていきたいと思います。

 

―― 今回例えば「使い捨てマスクを再使用すること」について、かつてないほど社会的に議論が巻き起こりました。『分解の哲学』でも大量生産・大量消費社会に批判的な検討を加える一方で、ごみや屑の可能性についても議論がなされています。

藤原 私たちは風呂に入ったり、歯を磨いたり、トイレで排泄したりすることで膨大な汗や垢、糞尿といったものを捨て、その後食事と呼吸によって新しい身体のある部分を取り入れることで生命を維持しています。今日出た排出物は、昨日までの身体を支えてくれていたものです。そしてまた、ひとつの生命を維持する過程で大量生産・大量消費が行われ、また生態系に組み込まれるプロセスのなかで大量分解が行われている。だからこそ、身体のある部分を「廃棄する」ということの重要性について考えています。

 こうした前提の上で、医療現場での廃棄について考えてみましょう。医療現場では日々大量の手袋やマスク、注射針や点滴の容器、防護服などが廃棄されています。病院では家庭では考えられないほど、ゴミの分別がものすごく細かく分かれており、また厳重に管理もされています。病院は大量廃棄できるシステムがないと、日々が回らない施設のひとつです。これは生命の働きに沿っているからこそです。

こうした実態を見つめながら、改めてごみを収集したり清掃を行ったりする労働が社会にとっていかに不可欠な存在かを思い知らされました。しかもこうした現場で働いている人は、例えばごみから感染症に感染する危険性もあるなど、毎日リスクと隣り合わせです。

『分解の哲学』でも、ごみや屑を集めるひとびとについて描き出しましたが、新型コロナウイルスがもたらした問題は、ごみ収集や清掃という営みが、それがふつうに行われている限りは「見えづらい」重要な営みであることを明るみにしたように思います。外出禁止令が出され、社会のさまざまな営みがストップしたとしても、ごみ収集業者が回っていないと、衛生的に安全な状態を保って自宅で過ごしつづけることはできません。ですから、このように社会をメンテナンスする作用、そしてそれがあるひとびとの労働によって成り立っているということの意味について、とても重要な課題を突き付けられています。

 

―― COVID-19対策として、世界的に家で過ごし命を守る行動をとることの有用性が叫ばれています。「家で過ごすこと」をめぐり、その問題と可能性について、いかに思考を紡ぐことができるでしょうか。

藤原 「パンデミックを生きる指針——―歴史研究のアプローチ」では、「家」について集中的に論じました。家がすべての人にとって頼ることができる場所だとは言うことができません。今回のCOVID-19対策として、世界的に「Stay Home」ということが求められています。確かに「Stay Home」は今回身を守るためにとても大切なのですが、その裏でDVや子どもの虐待が増えていることを看過することはできません。また、そもそも「家で過ごすこと」が必ずしも自明でないひとびとにとって、「Stay Home」はとても暴力的な響きが伴うものかもしれません。「家」という場所は、私的な場所であると同時に、あらゆる政治が関わる場所でもあるのです。

 ここで「家」について他のどの学問よりも真正面から考える学問である、「家政学(Home Economics)」の歴史を参照してみると、面白い思考の過程が浮かび上がってきます。私自身は、『ナチスのキッチン』で家政学の思考を参考にしたのですが、ここで「経済(エコノミー)」の問題、そしてこの言葉に含まれる「オイコス(家)」の問題が見えてきました。そもそも家政学は、一九世紀のアメリカでエレン・S・リチャーズという女性が提唱したもので、当初彼女は家政学を「Human Ecology」としてかたちづくろうとしていました。つまり、人間と自然の関係性を問い直し再接続する、言い換えてみれば経済の原理と生命の原理という、しばしば衝突する二つの原理をどういうふうに調整すればいいかを検討する、非常に可能性のある学問だったわけです。しかしその後、家政学は「かくあるべき「家」をいかに管理していけばいいか」という管理学的な性質をもつ学問として勉強される傾向をもつようになってしまいました。例えば、私たちがいま家庭科で習う家政学的な世界は、「家」というイメージがはじめから固まっていて、日々の暮らしの実態からするとどこか乖離してはいないでしょうか。こうした学問の枠組みのなかでは、「家」というものの不安定さが見えづらくなり、「家」がもつ社会性や公共性が矮小化されてしまいます。今回の新型コロナウイルスが提起した問題は、こうした家政学をはじめ、農学や医学など、生命と社会を横断する学問の姿にも待ったなしに変容を求めるものだと思います。

 

* * *

 

藤原 私たちは、新型コロナウイルスによるパンデミックの経験をした以上、それ以前の社会で見過ごされていたものをそのままにしておくことはもはやできません。この社会は、それを支える基盤がよりしっかりしていれば誰かが担わなくても済んだかもしれない負担を、より脆弱な基盤で生きるひとびとに押し付けていた社会であったことが今回さまざまなかたちで明るみになっています。こうした問題について考えることは、パンデミックを生きるうえでも大切な観点だと考えます。

 こうした社会を生きるうえで私が強調したい点は、メンテナンスの重要性とシェアの可能性です。やはり見えづらい、あるいは社会から普段こぼれおちているケアについて考えていきたいと思います。

 

 

参考文献

藤原辰史『稲の大東亜共栄圏――帝国日本の「緑の革命」』(吉川弘文館、2012年)
――――『給食の歴史』(岩波新書、2018年)
――――『分解の哲学――腐敗と発酵をめぐる思考』(青土社、2019年)
――――「パンデミックを生きる指針――歴史研究のアプローチ」(「B面の岩波新書」〔https://www.iwanamishinsho80.com/post/pandemic〕)
アルフレッド・W・クロスビー『史上最悪のインフルエンザ【新装版】――忘れられたパンデミック』(西村秀一訳、みすず書房、2009年)
――――― 『ヨーロッパの帝国主義――生態学的視点から歴史を見る』(佐々木昭夫訳、ちくま学芸文庫、2017年)
松平尚也「国連が新型コロナによる食料への影響について協調呼びかけ その背景とは」(『Yahoo!ニュース』2020年4月3日配信〔https://news.yahoo.co.jp/byline/matsudairanaoya/20200403-00171211/〕)
――――「新型コロナで揺れる世界の食料システム 影響は社会的弱者へ及ぶ」(『Yahoo!ニュース』2020年4月13日配信〔https://news.yahoo.co.jp/byline/matsudairanaoya/20200413-00173035/〕)
ローラ・シャピロ『家政学の間違い』(種田幸子訳、晶文社、1991年)